喪失のあとに響く静寂─ビル・エヴァンス『Time Remembered』が映し出す二つの時代

『Time Remembered』は一般的なライヴ・アルバムではない。

本作には若き日のビル・エヴァンスによる1958年のソロ・ピアノ録音と、スコット・ラファロ亡き後の1963年トリオによるライヴ録音が収められている。

録音時期も編成も異なる音源を一枚にまとめた編集盤でありながら、そこには不思議な統一感がある。

静けさの中に感情を滲ませるエヴァンス独自の美学が、時代を超えて貫かれているからだ。

本作は単なる未発表音源集ではなく、1950年代末から1960年代前半にかけてのエヴァンスの歩みを追体験できる貴重なドキュメントなのである。

スコット・ラファロ亡き後のエヴァンス

1961年は、エヴァンスの人生を大きく変えた年だった。

ニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードで録音された『Sunday at the Village Vanguard』『Waltz for Debby』は、ジャズ史上最高峰のピアノ・トリオ作品として現在も高く評価されている。

ところが録音からわずか10日後、ベーシストのスコット・ラファロが交通事故で急逝する。エヴァンスは深い喪失感に襲われ、一時は演奏活動そのものを停止した。

その後、新たなベーシストとしてチャック・イスラエルを迎え、時間をかけながら再びピアノトリオの表現を模索していく。『Time Remembered』は、まさにその過程を記録した貴重なドキュメントでもある。

ライブ録音メンバー

  • Bill Evans : Piano
  • Chuck Israels : Bass
  • Larry Bunker : Drums

ラファロ在籍時のトリオほどの激しいインタープレイは見られない。

しかしその代わりに、エヴァンスのピアノを中心とした美しいアンサンブルが形成されている。

チャック・イスラエルの安定感あるベースは楽曲の土台を支え、ラリー・バンカーの繊細なブラシワークは、エヴァンス特有の透明感を損なうことなく空間を彩っている。

印象に残る曲

すべての曲に言えることは、エバンスには心の闇が深く存在しているということだ。曲によっては悲しくもありそれすら昇華して美しくもある。何度も聴きたくなる衝動にかられる。このアルバムで象徴的な曲はオープニングの『Danny Boy』でありエンディングの『Time Remembered』だろう。

物思いにふけるとき『Danny Boy』

エバンスの悲しみに満ちた曲は、1977年あたりだと思っていたが実はそうではなかった。1958年録音のものでも十分感じ取れる。特にこの『Danny Boy』には喪失感というか老人が過去を懐かしむような雰囲気が漂っている。

人によっては退屈で眠たくなるような曲かもしれない。しかし、いくら努力しても現状を打破できなくて苦悩している人に、是非聴いて欲しい曲でもある。気持ちがリセットされるかもしれない。

表題曲『Time Remembered』に宿る静かな感情

もう1つのアルバムを象徴するのは、やはりタイトル曲「Time Remembered」だろう。

この曲には『Waltz for Debby』のような華やかな躍動感はない。

代わりにあるのは、過ぎ去った時間を静かに見つめるような内省である。

エヴァンスのタッチは驚くほど柔らかく、一音一音が余韻を伴いながら空間へ溶け込んでいく。

派手な技巧を聴かせるのではなく、音と音の間に漂う沈黙まで音楽として成立させている点こそ、本作最大の魅力と言える。

『Waltz for Debby』と『Time Remembered』

両者はしばしば比較されるが、その魅力は大きく異なる。

比較項目『Waltz for Debby』(1961)『Time Remembered』(1963)
トリオの対話性ラファロとのスリリングな同等レベルの対話・インタープレイエバンスのピアノが全体を美しく主導する安定したアンサンブル
サウンドの空気感華やかで繊細、緊張感のある「動」の美しさ哀愁を帯びた、より静廉で思索的な「静」の美しさ
アルバムの表情名高い人気曲が多く、親しみやすくドラマチック表題曲をはじめ、静かで内省的な旋律が心に染み入る隠れた名盤

『Waltz for Debby』が若き天才たちによる奇跡の記録だとすれば、『Time Remembered』は悲しみを受け入れたエヴァンスの成熟の記録と言えるだろう。

そこには決して派手ではないが、心の奥深くへ染み込んでくる音楽が存在している。

総評

『Time Remembered』は、『Waltz for Debby』ほど語られる機会の多い作品ではない。

しかしエヴァンスの音楽に惹かれる人ほど、本作の価値を理解できるだろう。

華やかな名盤ではなく、静かに寄り添う名盤。

夜更けに一人で聴くと、その繊細なピアノの響きが驚くほど心に沁みてくる。

ビル・エヴァンスという音楽家が持っていた抒情性、その最も純粋な姿のひとつが、この『Time Remembered』に刻まれている。

試聴

1963年ハリウッド録音当時の演奏を確認できるライヴ映像はこちら。

Bill Evans Trio – Time Remembered (Live In Hollywood, CA, 1963)

静寂の中に漂う緊張感、そしてエヴァンス特有の透明なリリシズムを、本作を聴く前にぜひ体感していただきたい。


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