- Study Beats
- 2024年4月11日
- 2026年10月26日
Paul McCartney『Band on the Run』徹底レビュー|名盤の魅力と音質評価
1973年リリースのポール・マッカートニー&ウイング……

マイケル・ジャクソンはキング・オブ・ポップと言われるが、ポール・マッカートニーを忘れてはいけない。『Pipes Of Peace』に収められた共演は1981年に始まっており、『Thriller』への大いなる序章になった。そしてポール・マッカートニーのソロで名盤と呼べるのは、私にとってこの2枚だけだ。
『Band On The Run』はグラミー賞を獲り、ジョンも評価したと言われる。それでも私は傑作とは思わない。この評価は変わらない。ポールの本領が、完成度と物語性を兼ね備えた形で現れたのは、1982年の『Tug Of War』と1983年の『Pipes Of Peace』だと考えている。
この2枚は、もともと1枚の作品になるはずだった。
『Tug Of War』のセッションは1980年12月に始まった。ジョン・レノンが殺害されたのはその月の8日で、初期のセッションは中断された。ウイングスは1981年に解散し、ポールはプロデューサーにジョージ・マーティンを迎え、ロンドンと西インド諸島モントセラトのAIRスタジオで制作を進めた。
曲は大量に生まれた。ポール自身が1983年のBBCのインタビューで語ったところによると、当初の計画は『Tug Of War』を2枚組で出すことだった。しかしレコード会社は2枚組を嫌がるものだと本人が述べており、それなら『Tug Of War 1』と『Tug Of War 2』に分けようという案になったという。ただしその案も、本人いわく退屈な発想だった。
最終的にどうなったか。まず1982年4月26日に『Tug Of War』が1枚として出た。残りの曲は次作に回され、「Tug Of War」の反対は何かと考えたポールは「Pipes Of Peace」(平和のパイプ)という着想にたどり着く。こうして1983年10月31日に『Pipes Of Peace』が出た。発売は当初1983年2月の予定だったが、延期を重ねた。
つまり2枚は、同じセッションから生まれた双子であり、「問い」と「答え」の関係にある。
1980年代初頭のポップシーンは、シンセサイザーとMTVの時代の入口にあった。ポール自身も1980年の『McCartney II』で電子楽器に傾いていた。
『Tug Of War』は、その流れに対してジョージ・マーティンと組み、人の演奏と歌を中心に据えた作品に聴こえる。ゲストにスティーヴィー・ワンダーを迎えながらも、前面にあるのは生身のバンドサウンドと旋律だ。これは私の受け止め方にすぎないが、時代の空気の中でむしろ珍しい立ち位置だったと思う。
一方の『Pipes Of Peace』は、80年代のファンクやロックを取り入れ、より現代的に聴かせようとした作品だ。プロデューサーはマーティンのままだが、方向性は確かに違う。
『Tug Of War』は多くの国で1位を獲得し、1983年のグラミー賞で最優秀アルバム部門にノミネートされた。数字より先に、聴けば完成度の高さがわかる。
私が感じるのは、曲順に物語があることだ。表題曲「Tug Of War」で対立と綱引きのテーマが示され、「Take It Away」「Somebody Who Cares」と続く。「What’s That You’re Doing?」にはスティーヴィー・ワンダーが共作者として加わっている。そして5曲目に「Here Today」が来る。
「Here Today」はジョンに捧げた曲で、2分半ほどと短い。それでも、なかなかの秀作だと思う。飾らない言葉でジョンに語りかけ、アルバム全体の感情の重心になっている。
後半は「The Pound Is Sinking」「Wanderlust」「Get It」「Be What You See (Link)」「Dress Me Up As A Robber」と進み、最後は「Ebony And Ivory」で閉じる。この中で私が白眉に挙げるのは「Wanderlust」だ。名曲だと思う。アルバム全体の完成度が高いのは、こうした流れの組み立てがあるからだ。
なお『Tug Of War』は、CDで再発されるたびに売り切れていた印象がある。今は在庫があり、普通に買える。「Ebony And Ivory」は英米で1位を獲得した曲だが、アルバムの核はむしろそれ以外の曲にある。
この作品の目玉は、マイケル・ジャクソンとの共演だ。なぜこの共演が成立したのか。
経緯はこうだ。1980年のクリスマスに、マイケルのほうからポールに電話をかけ、共作を持ちかけたとされる。1981年にマイケルがロンドンを訪れ、ポールがすでに手をつけていた「Say Say Say」を一緒に仕上げ、ジョージ・マーティンのAIRスタジオで録音を始めた。同じ時期に「The Man」も生まれた。録音時期は出典によって春から秋まで幅があるが、1981年にロンドンで始まったことは共通している。
1982年4月には、ポールがロサンゼルスに渡る。ここで録音したのが「The Girl Is Mine」で、クインシー・ジョーンズのプロデュースによりマイケルの『Thriller』に収録された。1982年10月にそのアルバムの先行シングルとして出たのが、時期的に先だ。「Say Say Say」と「The Man」は、翌1983年の『Pipes Of Peace』に収められた。
背景を整理すると、次のようになる。マイケルは世界最大のポップスターに向かう途上で、ビートルズの作曲家との共演を望んだ。ポールのほうも、1983年のインタビューでマイケルがヒットを作りたがっていたことに触れ、それに応じたと語っている。同じ時期にポールはマーティンと制作を進めており、すでに曲の種があった。それらが重なって成立した共演だ。
結果として「Say Say Say」は、1983年12月に全米1位を獲得し、6週間その座を守った。ただ、この2人はのちにビジネス面でも複雑な関係になっていく。それは音楽とは別の話として、ここでは触れるにとどめる。
『Pipes Of Peace』の前半は、本当に素晴らしい。表題曲「Pipes Of Peace」、「Say Say Say」、「The Other Me」、「Keep Under Cover」、「So Bad」、「The Man」と、6曲目までは秀逸な曲が目白押しだ。
ところが7曲目の「Sweetest Little Show」から、「Average Person」「Hey Hey」「Tug Of Peace」「Through Our Love」とラストまで、私にはどれも退屈に聴こえてしまう。残念だ。
この印象は、私一人のものではないようだ。同作の曲の多くは『Tug Of War』のセッションで録られたものの余りで、批評家の評価は『Tug Of War』より冷ややかだった。『Tug Of War』の残りを後半に詰めた構成が、勢いを削いだという見方もある。
だからこそ、惜しいと思う。曲の並びをもう少し練れば、このアルバムはもっと良い印象で聴ける作品になったはずだ。前半の質を後半にも行き渡らせる構成にしていれば、『Tug Of War』と並ぶ完成度に近づけたのではないか。
2枚ともジャケットのデザインが素晴らしい。
『Tug Of War』は、赤と青がせめぎ合う色面の中に、頭を抱えるポールの肖像が重なる。対立というテーマがそのまま視覚化されている。写真はリンダ・マッカートニーによるものだ。
『Pipes Of Peace』は白を基調にした静かな画面で、椅子と、大きく写った物体、そして画面の端に差し出された手が置かれている。写真撮影はリンダが担当した。赤と青の緊張から、白の静けさへ。2枚を並べると、「綱引き」から「平和のパイプ」への答えが、色だけでも伝わってくる。
『Tug Of War』は、曲順まで含めて完成した1枚だ。『Pipes Of Peace』は、前半の6曲が突出している分、後半の失速が惜しい。それでも2枚は、同じセッションから生まれた問いと答えとして、並べて聴くことで価値が増す。
ポールの名盤は、私にとってこの2枚だけだ。