Paul McCartney『Tug Of War』『Pipes Of Peace』レビュー|2枚組になるはずだった双子の名盤

マイケル・ジャクソンはキング・オブ・ポップと言われるが、ポール・マッカートニーを忘れてはいけない。『Pipes Of Peace』に収められた共演は1981年に始まっており、『Thriller』への大いなる序章になった。そしてポール・マッカートニーのソロで名盤と呼べるのは、私にとってこの2枚だけだ。

『Band On The Run』はグラミー賞を獲り、ジョンも評価したと言われる。それでも私は傑作とは思わない。この評価は変わらない。ポールの本領が、完成度と物語性を兼ね備えた形で現れたのは、1982年の『Tug Of War』と1983年の『Pipes Of Peace』だと考えている。

この2枚は、もともと1枚の作品になるはずだった。

2枚組として構想されていた2枚

『Tug Of War』のセッションは1980年12月に始まった。ジョン・レノンが殺害されたのはその月の8日で、初期のセッションは中断された。ウイングスは1981年に解散し、ポールはプロデューサーにジョージ・マーティンを迎え、ロンドンと西インド諸島モントセラトのAIRスタジオで制作を進めた。

曲は大量に生まれた。ポール自身が1983年のBBCのインタビューで語ったところによると、当初の計画は『Tug Of War』を2枚組で出すことだった。しかしレコード会社は2枚組を嫌がるものだと本人が述べており、それなら『Tug Of War 1』と『Tug Of War 2』に分けようという案になったという。ただしその案も、本人いわく退屈な発想だった。

最終的にどうなったか。まず1982年4月26日に『Tug Of War』が1枚として出た。残りの曲は次作に回され、「Tug Of War」の反対は何かと考えたポールは「Pipes Of Peace」(平和のパイプ)という着想にたどり着く。こうして1983年10月31日に『Pipes Of Peace』が出た。発売は当初1983年2月の予定だったが、延期を重ねた。

つまり2枚は、同じセッションから生まれた双子であり、「問い」と「答え」の関係にある。

当時の音楽シーン

1980年代初頭のポップシーンは、シンセサイザーとMTVの時代の入口にあった。ポール自身も1980年の『McCartney II』で電子楽器に傾いていた。

『Tug Of War』は、その流れに対してジョージ・マーティンと組み、人の演奏と歌を中心に据えた作品に聴こえる。ゲストにスティーヴィー・ワンダーを迎えながらも、前面にあるのは生身のバンドサウンドと旋律だ。これは私の受け止め方にすぎないが、時代の空気の中でむしろ珍しい立ち位置だったと思う。

一方の『Pipes Of Peace』は、80年代のファンクやロックを取り入れ、より現代的に聴かせようとした作品だ。プロデューサーはマーティンのままだが、方向性は確かに違う。

『Tug Of War』|完成度の高さと物語を感じる曲順

『Tug Of War』は多くの国で1位を獲得し、1983年のグラミー賞で最優秀アルバム部門にノミネートされた。数字より先に、聴けば完成度の高さがわかる。

私が感じるのは、曲順に物語があることだ。表題曲「Tug Of War」で対立と綱引きのテーマが示され、「Take It Away」「Somebody Who Cares」と続く。「What’s That You’re Doing?」にはスティーヴィー・ワンダーが共作者として加わっている。そして5曲目に「Here Today」が来る。

「Here Today」はジョンに捧げた曲で、2分半ほどと短い。それでも、なかなかの秀作だと思う。飾らない言葉でジョンに語りかけ、アルバム全体の感情の重心になっている。

後半は「The Pound Is Sinking」「Wanderlust」「Get It」「Be What You See (Link)」「Dress Me Up As A Robber」と進み、最後は「Ebony And Ivory」で閉じる。この中で私が白眉に挙げるのは「Wanderlust」だ。名曲だと思う。アルバム全体の完成度が高いのは、こうした流れの組み立てがあるからだ。

なお『Tug Of War』は、CDで再発されるたびに売り切れていた印象がある。今は在庫があり、普通に買える。「Ebony And Ivory」は英米で1位を獲得した曲だが、アルバムの核はむしろそれ以外の曲にある。

『Pipes Of Peace』|マイケルとの共演が成立した背景

この作品の目玉は、マイケル・ジャクソンとの共演だ。なぜこの共演が成立したのか。

経緯はこうだ。1980年のクリスマスに、マイケルのほうからポールに電話をかけ、共作を持ちかけたとされる。1981年にマイケルがロンドンを訪れ、ポールがすでに手をつけていた「Say Say Say」を一緒に仕上げ、ジョージ・マーティンのAIRスタジオで録音を始めた。同じ時期に「The Man」も生まれた。録音時期は出典によって春から秋まで幅があるが、1981年にロンドンで始まったことは共通している。

1982年4月には、ポールがロサンゼルスに渡る。ここで録音したのが「The Girl Is Mine」で、クインシー・ジョーンズのプロデュースによりマイケルの『Thriller』に収録された。1982年10月にそのアルバムの先行シングルとして出たのが、時期的に先だ。「Say Say Say」と「The Man」は、翌1983年の『Pipes Of Peace』に収められた。

背景を整理すると、次のようになる。マイケルは世界最大のポップスターに向かう途上で、ビートルズの作曲家との共演を望んだ。ポールのほうも、1983年のインタビューでマイケルがヒットを作りたがっていたことに触れ、それに応じたと語っている。同じ時期にポールはマーティンと制作を進めており、すでに曲の種があった。それらが重なって成立した共演だ。

結果として「Say Say Say」は、1983年12月に全米1位を獲得し、6週間その座を守った。ただ、この2人はのちにビジネス面でも複雑な関係になっていく。それは音楽とは別の話として、ここでは触れるにとどめる。

6曲目までは秀逸、7曲目から失速する

『Pipes Of Peace』の前半は、本当に素晴らしい。表題曲「Pipes Of Peace」、「Say Say Say」、「The Other Me」、「Keep Under Cover」、「So Bad」、「The Man」と、6曲目までは秀逸な曲が目白押しだ。

ところが7曲目の「Sweetest Little Show」から、「Average Person」「Hey Hey」「Tug Of Peace」「Through Our Love」とラストまで、私にはどれも退屈に聴こえてしまう。残念だ。

この印象は、私一人のものではないようだ。同作の曲の多くは『Tug Of War』のセッションで録られたものの余りで、批評家の評価は『Tug Of War』より冷ややかだった。『Tug Of War』の残りを後半に詰めた構成が、勢いを削いだという見方もある。

だからこそ、惜しいと思う。曲の並びをもう少し練れば、このアルバムはもっと良い印象で聴ける作品になったはずだ。前半の質を後半にも行き渡らせる構成にしていれば、『Tug Of War』と並ぶ完成度に近づけたのではないか。

ジャケットデザイン

2枚ともジャケットのデザインが素晴らしい。

『Tug Of War』は、赤と青がせめぎ合う色面の中に、頭を抱えるポールの肖像が重なる。対立というテーマがそのまま視覚化されている。写真はリンダ・マッカートニーによるものだ。

『Pipes Of Peace』は白を基調にした静かな画面で、椅子と、大きく写った物体、そして画面の端に差し出された手が置かれている。写真撮影はリンダが担当した。赤と青の緊張から、白の静けさへ。2枚を並べると、「綱引き」から「平和のパイプ」への答えが、色だけでも伝わってくる。

まとめ

『Tug Of War』は、曲順まで含めて完成した1枚だ。『Pipes Of Peace』は、前半の6曲が突出している分、後半の失速が惜しい。それでも2枚は、同じセッションから生まれた問いと答えとして、並べて聴くことで価値が増す。

ポールの名盤は、私にとってこの2枚だけだ。

参考・出典


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