きっかけはYouTubeだった。Bill Evans公式チャンネルにアップされている「New Jazz Conceptions」のオフィシャル・ビジュアライザーを何気なく再生したところ、その生々しさに耳を奪われた。手元にあるCD2枚―Essential Jazz Classics盤とUHQCD盤―のどちらとも違う鳴り方だったからだ。今回はこの2枚をじっくり聴き比べつつ、YouTubeの音源が何に由来するのかも調べてみた。
知られざる名盤 ― 1956年のエヴァンスが置かれていた状況
『ニュー・ジャズ・コンセプションズ』はビル・エヴァンスのリーダー・デビュー作でありながら、後年の代表作群に比べると驚くほど地味な扱いを受けている。理由は彼のキャリアの時系列を追うとよくわかる。
エヴァンスは1951年に徴兵され、1954年までの3年間を陸軍第5軍楽隊(フォート・シェリダン)でフルート、ピッコロ、ピアノを担当して過ごした。除隊後は約1年間実家で過ごし、1955年にニューヨークへ進出。マネス音楽院で作曲の研鑽を積みながら、トニー・スコットのグループやジョージ・ラッセルとの活動を通じてミュージシャン仲間の間で評価を高めていった。
転機は旧友のギタリスト、マンデル・ロウが電話越しにエヴァンスのデモテープをリヴァーサイドのプロデューサー、オリン・キープニュースとビル・グラウアーに聴かせたことだった。ヴィレッジ・ヴァンガードでの演奏を確認した2人はエヴァンスと契約し、1956年9月18日と27日の2セッションで本作を録音。ベースのテディ・コティック、ドラムのポール・モチアンとのトリオに加え、代表曲「ワルツ・フォー・デビイ」の最初期テイクを含む3曲のソロ・ピアノが収録された。
アルバムは1957年2月末にリリースされ、『ダウンビート』誌や『メトロノーム』誌では好意的に評価されたものの、初年度の売上はわずか800枚程度に留まる商業的失敗だった。さらにエヴァンスはこの後27ヶ月間、リーダー作を一切録音していない。伝記作家キース・シャドウィックは、本作についてエヴァンスの技術と作曲の才能は十分に示されているが、まだ「統一された音楽的人格」には達していなかったと評しており、この空白期間もそれを裏付けているとされる。
そして皮肉なことに、エヴァンスが本当の意味で名を知られるようになるのは1958年のマイルス・デイヴィス・セクステット加入、そして1959年の『カインド・オブ・ブルー』以降だ。さらに彼の人気を決定づけたのは、スコット・ラファロ、ポール・モチアンとの「黄金トリオ」期(1959〜61年、『ポートレイト・イン・ジャズ』『エクスプロレイションズ』『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』)である。つまり『ニュー・ジャズ・コンセプションズ』は、無名時代に静かにリリースされ、その後の自分自身のより有名な仕事によって覆い隠されてしまったアルバムなのだ。これが「知る人ぞ知る」ポジションに甘んじている最大の理由だろう。
2枚を聴き比べる

今回比較したのは、欧州盤のEssential Jazz Classics(EJC55780・全18曲)と、ユニバーサルミュージックの国内盤UHQCD(全12曲)。手元のDSPチェーンを通して聴いても、両者の性格差ははっきりと出た。
Essential Jazz Classics盤 ― 資料的価値は高いが音は籠る

最大の魅力はボーナストラックだ。13〜15曲目は1955年録音、ディック・ガルシア(g)、ジェリー・ブルーノ(b)、カミーユ・モラン(ds)を伴ったセッションから、16〜18曲目は1957年夏録音、エディ・コスタ(vib)、ジョー・プーマ(g)、オスカー・ペティフォード(b)、ポール・モチアン(ds)とのセッションからのエヴァンス参加テイクだ。いずれも他ではまとまった形で聴く機会が少ない、資料的価値の高い音源と言っていい。一方で肝心の音質は解像度が低く、全体的に籠った印象で、音圧も低め。生々しさはほぼ感じられない。
UHQCD盤 ― 解像度はあるが大人しい

こちらは解像度があり、EJC盤に比べると明らかに生々しさが出る。ただし、手元の他のビル・エヴァンスUHQCD群と同様に、緊迫感やエッジといった部分の再現には物足りなさが残る。どちらかと言えば大人しめの、聴きやすさ寄りの音作りだ。これがこのタイトル固有の傾向なのか、ユニバーサルミュージック・ジャパンのUHQCDシリーズ全体に共通する製作方針なのかは判断が難しいが、少なくとも今回のリスニングでは同シリーズの他タイトルと同じ傾向を感じた。
| 項目 | Essential Jazz Classics(EJC55780) | UHQCD(ユニバーサルミュージック) |
|---|---|---|
| 収録曲数 | 18曲(オリジナル12+ボーナス6) | 12曲(オリジナル11+ボーナス1) |
| ボーナス内容 | 1955年ディック・ガルシア参加セッション3曲、1957年ジョー・プーマ参加セッション3曲(レア音源) | 「No Cover, No Minimum」別テイク(1987年OJC盤以来の定番) |
| 解像度 | 低め、全体的に籠る | 高め、輪郭が明瞭 |
| 生々しさ | 乏しい | UHQCDとしては及第点 |
| 音圧 | 低い | 標準的 |
| 緊迫感・エッジ | ほぼ感じられない | 控えめ(同シリーズ共通の傾向) |
| 総評 | 音より資料的価値を取る人向け | リスニング用途向け、ただし刺激は弱め |
なぜUHQCDは大人しく聴こえるのか ― フォーマットの正体
今回のUHQCD盤に感じた「解像度はあるが緊迫感に欠ける」という印象は、実はこのアルバムに限った話ではないようだ。他の作品でUHQCDを聴いても同じような大人しさを感じるという声は少なくなく、フォーマットそのものの特性として少し掘り下げてみた。
UHQCD(Ultimate High Quality CD)は日本コロムビアが開発した製法で、信号そのものは通常のCDと同じ16bit/44.1kHzだ。変わるのはディスクの成形方法のみで、通常CDが「インジェクション(射出成形)」であるのに対し、UHQCDはかつて高級ガラスCD(クリスタルCD)で使われていた「2P成形(紫外線硬化樹脂によるフォトポリマー転写)」を採用し、信号ピットをより精密に転写する。メーカー側の説明では、これによりピット読み取り精度が向上し、結果として中高域のスピード感や立体的な音像、マスターに忠実な音が得られるとされている。
一方で、実際に聴き比べたリスナーの感想には温度差がある。あるジャズ愛好家のブログでは、著名なマスタリングエンジニアが手掛けたUHQCD盤について、音の分離は良いものの楽器の音は比較対象より穏やかに感じ、きらきら感は控えめで質感はレコードに近く、音の輪郭や圧力はレコードより上だがハイレゾ盤よりは下、と評していた。別の技術寄りのブログでは、波形やエラーレートを検証した上で、説明書には良い点ばかり書かれているが実際に聴くとなぜか音が少しぼやけており、それが複数タイトルに共通する傾向だと指摘している。対照的に、メーカー系や販促系のレビューでは「ハイレゾ音源を思わせるほどの解像度」と評価する論調も多く、聴感の評価はかなり分かれているのが実情だ。
UHQCDはビット深度やサンプルレートを変える技術ではないため、マスタリングのダイナミクスやEQそのものを直接変えるわけではない。それでも複数タイトルで似たような「大人しさ」が報告される背景には、次の2点が絡んでいる可能性がある。ひとつは、ピット転写精度の向上によるジッター低減の副作用だ。一部のリスナーが「エッジ」や「生々しさ」として感じている成分の中には、実はジッターに由来する微小な歪みが含まれている場合があり、これが整理されることで音は滑らかになる代わりに、刺激や迫力が後退して聴こえることがある。もうひとつは、国内カタログ復刻シリーズに共通するマスタリング方針だ。幅広いリスナーや再生環境を想定した、癖の少ない安全運転のマスタリングになりがちで、UHQCDというメディア自体の特性というより、シリーズ全体の音作りの方針が「大人しさ」の主因になっている可能性も十分にある。
結論としては、UHQCDというフォーマット自体が音を大人しくしているというより、ジッター低減による副作用とシリーズ共通の穏当なマスタリング方針の両方が重なって、多くのタイトルで似たような「静かな迫力の欠如」につながっている、というのが妥当な見立てだろう。
YouTube公式音源は何なのか ― レコードからのダビングか?
Bill Evans公式YouTubeチャンネルの「New Jazz Conceptions(1956)」再生リストは「Official Visualizer」として公開されている。この手の公式ビジュアライザーは、Craft Recordings/Concordが自社の新譜リイシューを告知するタイミングで用意することが多い。
手がかりになるのは、同曲を収録した2022年のアナログ・プロダクションズ/Craft Recordings制作のボックスセット『Bill Evans: Riverside Recordings』(22枚組45回転仕様)だ。エヴァンスのリヴァーサイド在籍時のアルバム全10作をまとめたこのボックスは、オリジナルのマスターテープからスティーヴ・ホフマンとケヴィン・グレイがAcousTech Masteringで完全アナログ(AAA)カッティングを行ったもので、オーディオファイルの間では長年評価の高いシリーズだ。『ニュー・ジャズ・コンセプションズ』は2025年に単発リイシューとしても発売されており、盤面の刻印にも両氏のイニシャルが確認できる。
ここは断定材料が乏しい部分だが、状況証拠から推測すると、YouTubeの公式音源はこの2022年ボックス以降のCraft Recordings系マスタリング系統に連なっている可能性が高い。一般的にこの手の高音質リイシューのデジタル音源は、レコードに刻んでから針を落として録り直す「針落とし(ニードルドロップ)」ではなく、マスタリング作業の過程でアナログテープから直接ハイレゾ変換した音源を使うケースが多い。つまりYouTubeで聴こえた生々しさは、ヴィンテージのマスターテープに最も近い場所で作られた音である可能性が高い、という推測になる。Craft Recordings側が音源の出自を公式に明記しているわけではないため、あくまで状況証拠からの推測である点はお断りしておきたい。
そう考えると、3者の音の違いにも筋が通る。EJC盤は資料的価値を優先した廉価な欧州リイシューで、マスタリングの新しさよりも収録曲数を売りにしている。UHQCD盤は国内メーカーによる手堅い、しかしやや保守的なリマスター。そしてYouTubeの音は、テープに最も近い場所で作られたオーディオファイル向けマスタリングの子孫だと考えれば、聴感上のギャップにも納得がいく。
まとめ
『ニュー・ジャズ・コンセプションズ』は、エヴァンスがまだ無名だった時代に静かに世に出て、その後の自分自身の傑作群によって覆い隠されてしまった、いわば “埋もれた1st アルバム” だ。聴き比べの結論としては、レア音源を優先するならEJC盤、家庭で気楽に聴くならUHQCD盤、そしてこの1956年のセッションが本来持っていたはずの生々しさを追いたいなら、Craft Recordings/アナログ・プロダクションズ系のマスタリングを探す価値がある―というのが今回の実感だ。





