ビル・エヴァンス『At Town Hall』レビュー|月の光のように心に残る、静かなライブ盤

最初は、物足りなかった

『Waltz for Debby』と同じ感覚で聴くと、このアルバムは拍子抜けします。演奏は端正で、破綻もない。けれど、あの張りつめた熱や、音楽の中へ引きずり込まれる感覚は薄い。初めて聴いたとき、私はそう感じました。

最初は、録音された会場のせいかと思いました。広いホールで、ライブハウスのように音が返ってこないから、大きさが出ないのではないか、と。ところが、聴き込むうちに印象が変わりました。このアルバムは、熱で聴かせる盤ではない。静かに心に残る盤でした。

「同じトリオ」ではない

まず前提を整理します。『Waltz for Debby』は1961年6月、Village Vanguardでの録音です。メンバーはスコット・ラファロ(b)とポール・モチアン(ds)。ラファロはその10日後に事故で亡くなります。

『At Town Hall』は1966年2月21日、ニューヨークのタウンホールでの録音です。メンバーはチャック・イスラエルズ(b)とアーノルド・ワイズ(ds)。エヴァンスにとってニューヨークでの初のコンサートで、公演の前半はトリオ、後半はオーケストラとの共演でした。ワイズとの商業トリオ録音はこれだけで、イスラエルズが正式メンバーとして残した最後の作品でもあります。

この時期のトリオは、有名な

  • スコット・ラファロ / ポール・モチアン期
  • エディ・ゴメス / マーティ・モレル期

に挟まれた過渡期にあたり、演奏スタイルもかなり異なります。むしろ「内省的で静かなビル・エヴァンス」がよく表れているライブです。

録音環境の違い:反射ではなく「距離」

「ホールは音が反射しないから、ダイナミクスが出ない」というのが、私の最初の仮説でした。ただ、一般にホールの方が残響は豊かです。違いは反射の量より、演奏との距離にあると思います。

  • Village Vanguard: 狭い店で、演奏と客が近い。熱量が同じ部屋の中にある。
  • Town Hall: 着席して聴く演奏会。約1,500人の客席は非常に静かだったと評されています。録音も、空間全体を捉える方向になる。

この静けさは、エヴァンスの内省的なスタイルに有利に働いたとも言われます。熱で聴かせるライブではなく、集中で聴かせるライブだったということです。

演奏の違い:対話から、静かな持続へ

ラファロ期のトリオの核心は、3人が対等に応答し合うインタープレイでした。ベースが旋律で語り、ピアノが返す。その緊張が『Waltz for Debby』の引力になっています。

イスラエルズとワイズのトリオは、そこを狙っていません。堅実に支え、ピアノの繊細なトーンを前に出す。盛り上がりでなく、静かな持続で聴かせる音楽です。

そこに個人的な事情も重なります。エヴァンスは、この公演のわずか数日前に父を亡くしたとされています。5曲目には、その父を偲ぶ無伴奏の長いソロ「Solo – In Memory of His Father」(13分45秒)が収められています。抑えた表情には、そうした背景も影響しているのかもしれません。

月の光のような基調

聴き込んで気づいたのは、このアルバム全体の基調が、ドビュッシーの「月の光」のように聴こえることでした。

もちろん、これは私の聴こえ方です。エヴァンスがそれを意図したという根拠は、私にはありません。ただ、エヴァンスがドビュッシーやラヴェルから影響を受けていたことは、よく知られています。追悼ソロの冒頭がラヴェル風だという評もあります。

なかでも「Spring Is Here」は、私がこの盤を手に取った理由です。土曜の午後の静かな時間が思い浮かぶ演奏で、ピアノの音が部屋に静かに沈んでいく。派手な見せ場はありません。それでも、聴き終えたあとに音が残ります。

ボーナストラックで聴き比べる

UHQCD盤には、同じ1966年2月21日の公演から、未発表の3曲がボーナストラックとして追加されています。

  • Beautiful Love
  • My Foolish Heart
  • One for Helen

My Foolish Heart

『Waltz for Debby』にも入っている曲です。聴き比べると、まったく違う演奏に聴こえました。あちらにあった張りつめた緊張感が、こちらにはありません。その代わりに、静かな落ち着きがあります。

One for Helen

エヴァンスのオリジナルで、マネージャーだったヘレン・キーンに捧げられた曲です。1968年のMontreux盤にも収録されています。

聴き比べての私の感想は次のとおりです。

  • Town Hall版: ピアノがシンプルなタッチで、静かに沈んでいく。
  • Montreux版: テンションの強い、オルタード寄りの響きを多く入れているように聴こえる。音程も、Town Hallと微妙に違って、少し外れたように感じる。

あくまで私の耳の印象で、楽譜や音源を分析して確かめたものではありません。

ただ、第三者の評価とも方向は一致します。AllMusicのレビューは、Montreux盤をエヴァンスの作風変化の始まりと位置づけ、前年に近いTown Hallを内省的で沈んだ調子の作品として対比しています。Montreuxでは、和声の不協和音やリズムの対比をより積極的に試し、活発で実験的になった、という評価です。

音質について:UHQCDしか知らない

私はこの盤をUHQCDでしか聴いていません。ノイズが少なく澄んだ音で、そのせいか迫力は控えめに聴こえます。他のマスターで聴けば、印象が変わる可能性はあります。

ただ、その澄んだ音が、静かな「月の光」のような基調には合っていました。迫力がないことが、この盤では欠点になっていません。

このアルバムの位置づけ

  • Village Vanguardの熱を期待すると、肩透かしを食らう。
  • ラファロ期とゴメス期のあいだで、エヴァンスが「静かで内省的」な方向に傾いた時期の記録として貴重。
  • 後のMontreux盤と聴き比べると、その後の変化がよく分かる。

最初は物足りなかったのに、気づけば何度も聴いている。そういう静かな引力を持つアルバムです。土曜の午後に、Spring Is Hereから聴き始めてみてください。


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