ビル・エヴァンスと言えば『Portrait in Jazz』は定番中の定番かもしれないが、私は10年以上前から特別にいいと思ったことがなかった。最近YouTubeのおすすめ動画でよく見かけるようになったことがきっかけで、アルバムを買ってじっくり聴いてみることにした。

プロローグ
正直に言うと、ビル・エヴァンスのアルバムの中で悲しくない曲は好きではなかったし聴こうともしなかった。『Waltz for Debby』『You Must Believe in Spring』は好きだ。あの物悲しさ、湿り気を帯びた翳りこそがエヴァンスらしいと思っていたし、その感傷性に惹かれてもいた。しかし今回、あえて敬遠していた『Portrait in Jazz』をXRCDで購入して聴いてみた。結果は予想を裏切られた。このアルバムには、あの物悲しさがほとんどない。むしろスウィングし、前のめりで、生き生きとしている。同じトリオ、同じピアニストの手による演奏なのに、なぜこれほど手触りが違うのか——それを知るには、このアルバムが生まれた1959年という時期に何が起きていたかを見る必要がある。
ジャケットの印象
ビル・エヴァンスのポートレートであり飾り気がない。『Waltz for Debby』のような神秘性がなく平凡すぎるジャケット。
音の特徴
録音データ
- 録音日: 1959年12月28日
- スタジオ: Reeves Sound Studios(ニューヨーク)
- レーベル: Riverside RLP 12-315
- プロデューサー: Orrin Keepnews
- メンバー: ビル・エヴァンス(ピアノ)、スコット・ラファロ(ベース)、ポール・モチアン(ドラム)
『Waltz for Debby』より先に生まれたトリオ、その最初の一枚
まず時系列を整理しておきたい。『Portrait in Jazz』は1959年12月28日の録音、『Waltz for Debby』は1961年6月25日、ヴィレッジ・ヴァンガードでのライブ録音である。つまり両者は同じラファロ、モチアンとのトリオによる作品だが、『Portrait in Jazz』はこのトリオの記念すべき第一作であり、『Waltz for Debby』はその1年半後、トリオが円熟し切った最後期の記録という関係になる。
『Portrait in Jazz』は、ベーシストのスコット・ラファロとドラマーのポール・モチアンを擁する、のちに”伝説”と呼ばれることになるトリオでの、2枚あるスタジオアルバムのうちの最初の1枚だった。オリジナルLPはモノラルとステレオの2バージョンで発売され、それぞれ「Autumn Leaves」の異なるテイクが収録されている。
録音された1959年12月、エヴァンスの周辺で起きていたこと
このアルバムを聴くうえで欠かせないのが、直前の数か月にエヴァンスの身に起きていた出来事だ。
『Portrait in Jazz』が録音されたのは、マイルス・デイヴィスとの『Kind of Blue』での成功協演からわずか8か月後のことだった。『Kind of Blue』自体は1959年3月から4月にかけて録音されているが、その時点でエヴァンスはすでにマイルスのバンドをウィントン・ケリーに交代されており、いわば”卒業後”のゲスト参加という形での録音だった。マイルスは、あのアルバムの構想自体をエヴァンスのピアノを軸に組み立てていたとも言われている。
マイルスのバンドでの活動に消耗しきったエヴァンスは、バンドを離れ、自身のリーダーとしてのキャリアを踏み出すことを選んだ。そこで出会ったのが、当時まだ23歳という若さながら圧倒的な技巧と音楽性を持つベーシスト、スコット・ラファロと、すでに旧知の間柄だったドラマー、ポール・モチアンである。エヴァンスは、ラファロとモチアンのうちに、自らが構想していた「三者間の音楽的対話」という理念を共有できる音楽的同志を見出し、1959年から本格的にその探求を開始した。
エヴァンス自身、ラファロについて次のように語っている。「彼の創造性には驚かされた。……彼の中にはあまりに多くの音楽があって、それをコントロールしきれないほどだった。彼は私を別の領域へと刺激してくれたし、おそらく私も彼の旺盛すぎる自我を抑える手助けができたのだと思う。それは素晴らしいことで、のちに私たちがエゴを抑え、共通の成果のために努力するに至るまでの、すべての苦労に見合うものだった」
つまり『Portrait in Jazz』は、マイルスのバンドという最高峰の現場を燃え尽きるように駆け抜けた直後、まったく新しい対話の相手を得て「さあ、これから何を始めようか」という高揚の中で作られたアルバムなのだ。初共演のこのセッションは、非フリー・ジャズ系の主流のリスナーにとってすら衝撃的で、あまりに自然で完璧な即興的呼応だったため、当時のある批評家仲間はこれが事前にすべて譜面化されていたのではないかと考えたほどだったという。それが、私がこのアルバムに感じた「物悲しさのなさ」の正体だったのかもしれない。悲嘆や喪失ではなく、新しい何かが生まれる瞬間の高揚感がこのアルバムには刻まれている。
雰囲気・世界観
物悲しさや美しさという言葉では表現できない。洗練されてはいるが深みがないというのが正直な感想である。まだ演奏についても3人ともぎこちないのかもしれない。ラファエロのベースも音数の多い表現豊かな演奏とは言い難い。
それでも『Someday My Prince Will Come』『Blue in Green [Take 3]』『Blue in Green [Take 2]』の3曲は『Waltz for Debby』への序章といっていいくらいの素晴らしい演奏だ。
おすすめの聴き方・シーン
『Waltz for Debby』との違いが物語ること
一方の『Waltz for Debby』が録音されたヴィレッジ・ヴァンガードでのライブは、皮肉にもラファロが交通事故で急逝するわずか10日前の演奏だった。その死はエヴァンスに大きな打撃を与え、彼はしばらく人前から姿を消すことになる。ライブという形式そのものが持つ即興性の緊張感に加えて、聴き手が後から知る「これが最後の輝きだった」という文脈が、あのアルバムに独特の翳りを与えているのだと思う。私が『Waltz for Debby』に感じていた物悲しさは、必ずしも演奏そのものに内在するものではなく、その後の悲劇を知ったうえで聴く私たち自身の耳が作り出していた側面もあるのかもしれない。
対して『Portrait in Jazz』は、まだ何も失われていない。ラファロとの共演が始まったばかりの、可能性に満ちた季節の記録である。当時すでに何年もエヴァンスと共演を重ねていたモチアンのブラシワークは絶妙なバランスを保ち、ラファロは伝統的なベースの伴奏的役割にとどまらず、旋律的な対位法を紡ぎ出す技巧と音楽性を兼ね備えていた。
なお、この時期のエヴァンスがヘロイン依存に苦しみ始めていたことも記録に残っている。彼の依存は1950年代後半に始まり、私生活と音楽活動の両方に深く影を落としていくことになるが、この『Portrait in Jazz』の時点では、その苦しみが演奏に暗い影を落とすというよりは、むしろラファロという新しい才能との出会いによる高揚感の方が勝っていたように聴こえる。
総評
今回はXRCD盤を選んだ。理由は単純にノイズが極限まで抑制されマスターテープからのリマスターが施されているからだ。実際に聴いてみると、ラファロのベースの立体感、特に高音域のハーモニクスの伸びや、モチアンのブラシの摩擦音の質感まで克明に浮かび上がる。正に私が欲しい生々しさと角ばっていない解像度だ。ラファロがこのアルバムで果たしている「ベースをほぼピアノと対等な地位にまで押し上げる」という役割の凄みは、解像度の高い再生環境でこそ実感できる部分が大きい。1959年という録音年代を考えれば十分に驚くべき音質であり、この点でもXRCD化された意義は大きいと感じた。
キャッチコピー
『全てが未来に向かっていた。』
AllMusic評価
| 4.5 | Excellent |
| AllMusicスコア | 評 価 |
|---|---|
| Masterpiece | |
| Excellent | |
| Strong | |
| Good | |
| Average | |
| Mixed | |
| Poor | |
| Very Poor | |
| Awful |
エピローグ
『Portrait in Jazz』を敬遠していたのは、単に「エヴァンス=物悲しい」という先入観に縛られていたからだった。実際に聴いてみると、このアルバムが持つのは悲しみではなく、生まれたばかりの音楽的対話への興奮であり、それは録音時期という文脈を知ることでより鮮明になる。『Waltz for Debby』の翳りが好きな人にこそ、その1年半前、まだ何も失われていなかった季節の記録として、このアルバムを聴いてほしいと思う。




